ミシェル・パルミジャーニ

「修復の仕事は、時計製作の夢を追いかけるために必要な自信を与えてくれました。」

– ミシェル・パルミジャーニ

機械芸術を永続させて

1950年12月2日、スイスのヌーシャテル州にあるクヴェという村に生まれたミシェル・パルミジャーニは、芸術性と技術性の両側面をもつ時計と建築への情熱を育みました。キャリアとして選んだのは前者でしたが、その後も建築は時計をつくるにあたり大きな影響を与え続けます。ヴァル・ド・トラヴェールの時計学校、そしてラ・ショー・ド・フォンのテクニクムで学んだミシェル・パルミジャーニは、のちに専門となるタイムピースの修復のノウハウを身につけました。

ミシェル・パルミジャーニは、クォーツショック真っ只中の1976年に、時計の製作と修復を行う工房、ムジュール・エ・アール・デュ・タン社を設立しました。当時、伝統的な機械式時計の存続を脅かしていた安価な電池式時計の流行に逆らい、コレクターや美術館のために貴重なアンティーク時計を修復し、また顧客の要望に応じて独自のスタイルで作品をひとつひとつ設計し、成功を見出しました。

1980年には、歴史的にもっとも重要なタイムピースの修復師として、ミシェル・パルミジャーニの評価は高まり、彼のキャリアは次のステップへと導かれていきました。パルミジャーニ・フルリエ設立のきっかけとなったのは、スイス最大の懐中時計とオートマタのコレクションであるモーリス・イヴ・サンドコレクションの所有者、ランドルト家との決定的な出会いでした。ミシェル・パルミジャーニは、時計史のマイルストーンとなったこれらの作品の修復を任されたと同時に、自身の時計づくりの夢を追求するためのサポートとなる人脈を得ることができたのです。

パルミジャーニ・フルリエのはじまり

1996年、ミシェル・パルミジャーニは、サンド・ファミリー財団の支援を受けて、自身のウォッチメゾン、パルミジャーニ・フルリエを設立しました。科学、芸術、建築の世界から美学的なヒントを得た創業者のビジョンに導かれ、今日メゾンはスイスの名アトリエを抱えるファミリーを形成しています。各アトリエでは、ヒゲゼンマイ、ダイヤル、ケースなど、それぞれの専門分野で最高レベルの知識と技術を持ち、そのすべてがグループ内にあることで製造工程全体をコントロールし、パルミジャーニ・フルリエの時計の各パーツを最高の品質で自社製造することを可能にしています。

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